【目黒区】目黒はタケノコの名産地だった!?碑文谷・すずめのお宿緑地公園の歴史

碑文谷「すずめのお宿緑地公園」

最寄りの都立大学駅からも徒歩約12分と、少し不便な場所にあるすずめのお宿緑地公園。都会のど真ん中に美しい竹林が広がり、地元の方々からは憩いのスポットとして有名です。

以前、めぐろ観光協会主催の「碑文谷地区まち歩き」ツアーに参加し、初めて訪れました。

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目黒というと“目黒のさんま”が有名ですが、実は昭和初期まではタケノコの産地として名をはせていました。今回は目黒のタケノコについて深堀りしてみたいと思います。

江戸で初めてタケノコを栽培したのは、戸越村の山路治郎兵衛勝孝という人物

農家の貴重な収入源だったタケノコ

日本で食べられているタケノコは、中国原産の「孟宗竹」のこと。薩摩藩4代藩主・島津吉貴が1736年、薩摩に持ち込んだのが初めてといわれています。

江戸(東京)へタケノコをもたらしたのは、鉄砲洲で廻船問屋を営んでいた山路治郎兵衛勝孝という人物。薩摩藩から孟宗竹の種竹を取り寄せ、戸越(品川区)周辺で栽培を始めたのが起源だそうです(品川区歴史館企画展より)。

当時の目黒区・品川区で台風により、立会川・目黒川が氾濫し、稲が全滅するなど苦しい生活を送っていました。その暮らしぶりを見かねた治郎兵衛勝孝が、近隣の農家にタケノコ栽培を勧めたとのこと。

戸越村から碑文谷村、衾(ふすま)村へとタケノコを栽培する農家が次第に増え、特に現在の鷹番や碑文谷でタケノコ栽培が盛んになったそうです。

江戸時代にブランド野菜となった“目黒のタケノコ”

掘りたてのタケノコ

画像はイメージです

今では春の味覚として愛されているタケノコですが、当時はまだその存在が知られていなかったためなかなか売れなかったそうです。このため、治郎兵衛勝孝は売上を伸ばすべく、さまざまなプロモーションを行いました。

中でも目黒不動門前の料亭(角伊勢や内田屋、大黒屋など)で名物タケノコ飯として売り出したところ大人気に。正岡子規など多くの文人墨客もタケノコ飯のおいしさを絶賛したといいます(目黒区ホームページより)。

これらの策が功を奏し、“目黒のタケノコ”としてブランド野菜へとなっていきました。

明治・大正時代には、タケノコでツケ払いが出来るように

タケノコでツケ払いできた目黒の農家目黒のタケノコは評判を呼び、農家の人々が支払いに困った際、「タケノコが収穫できるまで待って欲しい」というタケノコ勘定という言葉までできたそう。

タケノコ栽培は手がかかるため、すべての農家が栽培していたわけではないようですが、かなりの収入になった様子がうかがえます。

目黒のタケノコが特別だったワケ、それは独自の栽培法によるもの

「太く、柔らかく、おいしい」と三拍子揃った目黒のタケノコ。「白子(しろこ)」とも呼ばれ、大変珍重されたそうです。

目黒の土壌にタケノコの栽培が適したことに加え、目黒式といわれる独自の栽培方法に特徴がありました。

タケノコは深さ40cmぐらいのところに横方向へ這うように成長した地下茎に芽を出し、成長したもの。目黒式は地下茎を掘り起こし、深く掘った溝に埋め直し、肥料を施すというものでした。

根の上にしっかりと土をかぶせて栽培すると風味のよいタケノコになったそうです。

中目黒にある「めぐろ歴史資料館」では、当時の栽培の様子や道具などを詳しく展示していますのでぜひ!

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関東大震災以降、鉄道開通や宅地開発で竹林が失われてしまった目黒

1923年(大正12年)に関東大震災が発生。大勢の方が被災し、家をなくしました。

比較的被害が少ない目黒や武蔵小山周辺に移住する人が増え、家を建てるためにやむなく竹林を伐採することになったそうです。また、目蒲線(現在の目黒線・多摩線)開通による影響も。

現在では碑文谷にあるすずめのお宿緑地公園などに、その痕跡がわずかに残るのみとなってしまいました。

すずめのお宿緑地公園は個人の方が寄付した場所

すずめのお宿緑地公園誕生の話

すずめのお宿緑地公園は、もともと角田セイさんという方の土地でした。長年こちらで1人暮らしをしてきた角田さんは「自分の死後はお国に返したい」とおっしゃっていました。

その遺志を活かし、国へ寄付された後、目黒区がこの土地を借り受けて公園としたものがすずめのお宿緑地公園です。

すずめのねぐらになっている公園

竹林には数多くのスズメが住み着いており、朝早く飛び立ち、夕方に群れをなして戻ってくることから、いつしかこの場所のことを“すずめのお宿”と呼ぶようになりました。

現在では、ブランド野菜“目黒のタケノコ”の名残を留める、希少な歴史の生き証人となっています。

すずめのお宿緑地公園にはシイやケヤキの大木も!北側の一角には古民家が移築されています

すずめのお宿緑地公園にはシイやケヤキの大木も

すずめのお宿緑地公園には竹林だけではなく、シイやケヤキなどの大木も残されています。このため、スズメだけではなく、数多くの野鳥がここで暮らしており、餌台が設置されていました。

野鳥のエサ台

さらに公園の北側には栗山家の母屋(目黒区指定有形文化財)が移築・復元され、ひな祭りや七夕など季節ごとに年中行事を再現。どなたでも無料で見学できます。

すずめのお宿緑地公園内に古民家

古民家の中はまるでここだけ時間の流れが違うような、懐かしくのんびりとした雰囲気。コロナ禍で家にこもりがちになってしまいますが、ちょっと足を延ばして、美しい竹林の中を散歩してみてはいかがでしょうか。

竹林を渡る風の音に耳をすませると、不思議とこわばった心がほどけてきて、リラックスすること間違いなしです。

↓「すずめのお宿緑地公園」の場所はこちらになります。

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