【目黒区】自由が丘の銭湯「みどり湯」で開催「霊柩車と銭湯の不思議な関係 vol.2」、銭湯と霊柩車と遊郭に共通するものは!?
2022年11月にロビーとフロントをリニューアルした自由が丘にある銭湯「みどり湯」で、2023年2月23日(木・祝)に開催されたトークイベント「霊柩車と銭湯の不思議な関係vol.2」を取材してきました!
【目黒区】自由が丘の銭湯「みどり湯」が11月14日(月)にリニューアルオープン、フロント・ロビーでポップアップイベントができるユニークなチャレンジを実施中!
実はみどり湯では、以前からさまざまなテーマでワークショップやイベントを開催。今回行われた「霊柩車と銭湯の不思議な関係」は第2回目の開催です。
登壇されたのは、庶民文化研究家であり、銭湯研究家でもある町田忍さん、そして葬儀社エンディングビジネスコンサルタント・増井康高さん。女湯・男湯の脱衣場を会場にするというユニークな仕掛けです。
ちなみに、第1回目は「銭湯と霊柩車の不思議の謎を解く」と題して2018年8月、みどり湯に併設されている「gallary yururi」で、町田忍さんによるトーク&スライドショーを実施しています。
第2回目となる「霊柩車と銭湯の不思議な関係」前編では町田忍さんによる、霊柩車についてのトークイベントの様子をご紹介します。
ちなみに町田忍さん、めぐろ区報(2023年3月1日発行)の「銭湯を楽しむためのあれやこれや」で登場しています。
霊柩車研究家として、「The霊柩車」という本も出版している町田忍さん
町田忍さんは、庶民文化研究家として数々の本を出版されていますが、実は霊柩車についてもかなり詳しいということを今回初めて知りました。
1992年に祥伝社から発売された「The 霊柩車ー日本人の創造力が生んだ傑作(ノン・ライブ)」は、井上章一さん・町田忍さん著者で、日本独自ともいえる宮型霊柩車の数々を写真で紹介しつつ、荘厳、華麗な日本文化、今まで誰も論じなかった独自の美と死生観を解きあかしています。
つい先日、フジテレビ系列で1992年から放送されてきた山村美沙サスペンス「赤い霊柩車」シリーズが、第39弾でファイナル(2023年3月17日放送)を迎えるということで、話題になっていましたね。
30年続いたドラマ赤い霊柩車が30年の歴史を閉じるとのことです。画像は私が平成三年に取材した、赤い霊柩車ですが、現存しません。 #赤い霊柩車、 #片平なぎさ、 #大村崑、 #霊柩車 #葬儀 #ドラマ。 庶民文化研究所撮影。 pic.twitter.com/Q1KsJ7QwzS
— 町田忍 (@kerorin_machida) February 21, 2023
今回のトークイベントでもこの赤い霊柩車、スライドで紹介されていました。
運用していたのは、富山市にある株式会社セレモニーセンター。1978年ごろに黒塗りの霊柩車を赤く塗り替え、使用していたそうです。
朱色は極楽浄土の色、ということで霊柩車が赤いというのも悪くはないという選択。セレモニーセンターの赤い霊柩車は大人気となりましたが、現在はもう残っていないとのことでした。
銭湯と宮型霊柩車、建築様式や意匠が似ている!
昔の銭湯といえば、この構え。いわゆる「唐破風(からはふ)」と呼ばれるもので、日本の城郭建築などにみられる造りです。
中央部を凸型にし、両端部を凹型の曲線状にした破風の一種で、唐と付きますが日本特有の建築技法となります。
上写真は小金井市にある「江戸東京たてもの園」東ゾーンにある「子宝湯」という銭湯を復元したもの。足立区千住元町にあった銭湯で、建築年代は1929年(昭和4年)。
神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格子天井など贅(ぜい)をつくした造りとなっています(引用元:江戸東京たてもの園ホームページより)。
実は霊柩車もいわゆる“宮型”と呼ばれるものは、この唐破風が特徴です。また、お棺を納める納棺室にも天井絵や折上天井が施されることが多いとのこと。
こうやって解説していただくと、かなり共通点がありますね。
昔の霊柩車といえばこの「宮型霊柩車」が定番。いわゆる神社物閣の建築様式を模した形状で、もともとは遺体を納めた棺桶を乗せて、人が担いで運ぶ「輿(こし)」がルーツといわれています。
そこから、輿を大八車に備え付けた「棺車」を経て、昭和初期頃に「宮型霊柩車」が登場。その後、車の後部に唐破風屋根や豪華絢爛な装飾が施された納棺室が設えられた「宮型霊柩車」が作られるように。
最近ではほとんど見かけなくなってしまいました。都内で霊柩車の製造・配車をしているのは東礼自動車株式会社だけとなっているそうです。
この宮型霊柩車はメンテナンスに大変手間がかかるものだそうで、所有している会社は年々少なくなっていく一方。今後作られることはなく、現存しているのは都内に30台ほどとなってしまったそうです。
宮型霊柩車は、日本の伝統工芸や職人の技術を駆使した唯一無二の存在
町田忍さんが所有する霊柩車の写真をスライドで紹介してくれました。日本で初めての霊柩車といわれているのは「ビム号(1910年代)」で、大阪にある葬儀社が初めて運行。
納棺室の重量が重く、国産車では支えきれないということで、外国車をベースに改造されたものだそうです。
日本の場合は輿と車を合体させて作りましたが、欧米では馬車と棺桶を合体させて作ったのが始まり。このため、洋型霊柩車と呼ばれるものには馬車の幌に使うばねを意匠としてデザインしているそうです。
以前は上写真のような洋型霊柩車、クリスチャンの方以外は利用できなかったそうです。第69代大平正芳元内閣総理大臣がなくなった際、この洋型霊柩車で運ばれたのは、クリスチャンだったから。
かつて青森の八戸の方で、隠れキリシタンがいたところからリヤカーに乗せた座棺には十字架が入っていたというから驚きです。
元々は欅で作ってきた宮型の納棺室ですが、重量を軽くするため、桐でつくられるように。関西や東海、北陸、関東とそれぞれ地域により違った意匠や造りで個性が感じられます。
特に千葉の海辺の方は漁師さんが多いということで派手好みの傾向。金箔をふんだんに使った金色の霊柩車などもあるそうで・・・。
最盛期に宮型霊柩車製造のシェア7割を誇った金沢の米津工房が作る霊柩車は、屋根の形状が独特といわれていました。
また、金沢の霊柩車で地元の伝統工芸技術を凝縮した豪華な造りのものも!
ひつぎを納める「宮」には極楽浄土を思わせるような精密な彫刻が施され、まさに日本の伝統工芸品ともいうべき、職人の技術が光ります。走る“アート作品”だったのが宮型霊柩車といえるでしょう。
霊柩車と遊郭にもある共通点、唐破風屋根や天井絵などから読み解く
町田さんが霊柩車にハマったきっかけとなったのが、宮型霊柩車の意匠が、銭湯の建築意匠である「唐破風」と同じ形であったことから。御神輿にも共通する意匠であり、歌舞伎座や大阪にある老舗料亭「鯛よし百番」も同じでした。
「鯛よし百番」は、大正時代に建てられた遊郭「妓楼建築」で作られた建物をそのまま活用し、料亭としています。国の登録有形文化財であり、木造2階建て。
茶室風の部屋が13室並び、桃山時代の文化を意識した豪華絢爛な内装を誇ります。東海道の島田の宿(弥次喜多の部屋、船)や由良の間(忠臣蔵)、祇園茶屋など、物語性豊かな部屋づくりで、美術館としても魅力ある建物。
この遊郭もまた、唐破風や豪華絢爛な天井絵、折上格子天井と霊柩車・銭湯に通じる造りとなっています。
町田さんいわく「銭湯も遊郭も霊柩車もまさに“極楽浄土への入口”、この世からあの世へと旅立つ際に夢見心地にしてくれる場所」なのではないか。確かに神社仏閣も極楽浄土へ導いてくれる場所で、その周辺には必ず遊郭が作られてきました。
今後「唐破風」建築に関する専門書を出版予定だという町田忍さん、霊柩車の歴史や深い考察、ありがとうございました。
次回、後編では葬儀社エンディングビジネスコンサルタント・増井康高さんによる、これからの供養の形、お墓の相続問題などを新しい視点で紐解いていきます。
【目黒区】自由が丘の銭湯「みどり湯」で開催「霊柩車と銭湯の不思議な関係 vol.2」、今後は亡くなった方といつでも会える?メタバースの世界
2023年4月2日(日)まで渋谷PARCOで銭湯ミュージアム「SUPER SENTO パルコ湯」開催中
渋谷PARCO4階の「PARCO MUSEUM TOKYO」では、現在「銭湯文化を永遠に!」というビジョンのもと、さまざまな銭湯・サウナグッズなどを展示中。
町田忍さんも銭湯ジオラマ模型を作成して出展しています。ジオラマは1953年頃、町田さんがお住まいだった目黒区原町2丁目の当時の家を写真見て再現したもの。
「SUPER SENTO パルコ湯」では、先日みどり湯でポップアップイベントを開催されたMarco Tokyo銭湯さん、銭湯大使ステファニー・コロインさんも参加。また、西蒲田の「改良湯」さんは特別コラボ企画を行っています。
【目黒区】銭湯は美術館&パラダイス!?みどり湯×Marcotokyo銭湯×伊勢丹サウナ部のポップアップイベントに行ってきました
銭湯&サウナ好きの皆さん、ぜひ足をお運びくださいね。
【開催期間】~2023年4月2日(日) 11時~21時(最終入場は20時30分まで)
※最終日は18時閉場
【開催場所】渋谷パルコ 4階 PARCO MUSEUM TOKYO
詳しくはこちら≫
■取材協力
↓自由が丘銭湯 みどり湯の場所はこちらになります。