【目黒区】ボランティアガイドステップアップ講座に参加、地元でも知らないことがいっぱい浄真寺編

九品仏・浄真寺

九品仏・浄真寺

目黒区のボランティアガイド見習い中の私。2024年7月13日(土)に開催された「ボランティアガイドレベルアップ研修」に参加してきました。

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今回は東急大井町線「九品仏駅」からスタートし、自由が丘巡るコースを模擬ガイド。浄真寺・トモエ学園記念碑・トレインチ自由が丘・自由が丘熊野神社を訪れました。

私の担当は「トモエ学園記念碑」「トレインチ自由が丘」です。普段よく訪れている場所ですが、知らないこともたくさんあり、とても勉強になりました。

それぞれの見どころを2回にわたり、ダイジェストでご紹介していきましょう。皆さんの街歩きの参考になれば幸いです。

前編では「浄真寺(じょうしんじ)」についてです。

「九品仏」の由来となった九体の阿弥陀如来様が拝める「浄真寺」

美しいお庭が広がる九品仏

「浄真寺」は浄土宗のお寺で、正式名称は「九品山(くほんぶつ) 唯在念佛院(ゆいざいねんぶついん) 淨眞寺(じょうしんじ)」。江戸時代初期に珂碩上人(かせきしょうにん)が、吉良氏が築いた奥沢城の跡地を賜り創建したお寺です。

浄真寺・盂蘭盆会

往古の面影を残す3万6千坪の境内には、たくさんの東京都指定文化財の他、豊かな緑が生い茂る日本庭園が広がっています。今回の研修で訪れた日は「盂蘭盆会」の法要が行われていました。

「般舟場(はんじゅじょ)」と書かれた浄真寺の総門

「般舟」とは浄土宗でいう「般舟三昧(はんじゅさんまい)」のことで、行者の前に仏が現れ、修行によって心の散乱を止めた、やすらかで静かな状態を意味するそうです。

浄真寺の院号である「唯在念佛院(ゆいざいねんぶついん)」という名のごとく、念仏道場であることを表しています。

階段の手すりが舟の櫂のような形

階段の中央にあった手すりが、舟の櫓(ろ)の形をしていたのに今回初めて気が付きました。ちなみに仁王門の手すりは「金剛杖」、龍護殿は「龍の鱗」、三仏堂は「紫雲」となっていいるそうです。

「閻魔堂」の閻魔大王からのお告げは意外に当たる!?

閻魔大王のお告げを聞ける焔魔堂

浄真寺・閻魔堂

総門を入り、すぐ左手にある「閻魔堂」。新しく建て替えられたばかりの頃、一度訪問しています。
こちら、お賽銭を入れると閻魔大王のお言葉を聞くことができるというハイテクな仕掛け。このお言葉が意外に心に沁みるのです。

「閻魔堂」の前には橋と三途の川が流れています。人は亡くなると7日目に三途の川のほとりに到着。

三途の川

三途の川

三途の川はあの世とこの世の境界にあり、渡ってしまうともうこの世には戻れません。「三途」とは仏教の三悪道「地獄道・餓鬼道・畜生道」が由来。

川の流れは1つではなく、3つに分かれ(葬頭川・三瀬川・渡り川)、その人の行いにより、渡る川が違うそうです。

お堂の中央には閻魔大王、向かって左には「奪衣婆(だつえば)」、右に「懸衣翁(けんいおう)」が座っています。

三途の川のほとりには衣領樹(えりょうじゅ)があり、着ている服を脱がせた奪衣婆が懸衣翁に渡し、木の枝に架けて垂れ下がる様子で生前の罪の軽重を図るのだとか。

閻魔堂のお向かいには六地蔵の石仏があり、その前には賽の河原が広がっています。閻魔大王は地蔵菩薩の化身ですものね。

珂碩上人も地蔵菩薩の化身といわれていたことから、開山堂正面と六地蔵石仏正面との接点にこの閻魔堂が建立されているそうです(浄真寺閻魔堂の見どころより)。

「仁王門」の上層部にある「紫雲楼」が御開帳されていました

浄真寺・仁王門

浄真寺・仁王門

1793年(寛政5年)の建立である仁王門。その上層部は「紫雲楼」と呼ばれ、普段は扉が閉められています。

しかし、盂蘭盆会ということでここが御開帳されていました。

紫雲楼が御開帳

中には阿弥陀如来と二十五菩薩がお祀りされており、これらの仏様に迎えられて三仏堂に向かうという演出です。この紫雲楼から中は浄土(彼岸)であるということを示しているそうです。

浄真寺で毎年5月に「二十五菩薩来迎会(らいごうえ、通称:おめんかぶり)」行事(無形民俗文化財)が行われており、個々にお祀りされている二十五菩薩は来迎の真髄を示現するものとなっています。

仁王門には一対の仁王像の他、風神・雷神の像もありました。

名楼といわれる浄真寺の「鐘楼(しょうろう)」

鐘楼

1708年(宝永5年)に建立された鐘楼。梵鐘は文化財に指定されています。

深沢の名家・岡氏の御先祖が二親菩提(ふたおやぼだい)のために鋳造し、寄進されたものです。楼の周りに刻まれている見事な彫刻は作者不詳。

奥沢城の名残を良く残す「浄真寺」の境内

奥沢城跡の名残を残す境内

浄真寺は奥沢城跡に建てられていることから、敷地(境内)を囲むように土塁が残されています。鎌倉期における築城学上「土塁」の形態を示すものとして貴重な資料。

境内には古木が多く残され、カヤの大木は樹齢800年以上、イチョウは樹齢300年ともいわれています。

銀杏の木

イチョウの木

寺域全体が極楽浄土を表しており、「弥陀三六の願い」に即して、境内の広さ3万6千坪、三仏堂各堂の丸柱が三十六本柱、更に上品堂と龍護殿の間が三十六間というように、細部にわたって往生にちなんだ数字があてはめられているそうです。

九品仏へ参拝結縁したならば、往生浄土の信心を得ることが出来るという願いが込められいます。

奥沢城時代からの池泉庭園「鷺草園」

龍護殿(本殿)

龍護殿(本殿)

本殿「龍護殿」では盂蘭盆会法要の真っただ中ということで今回はパス。その周りにある庭園を周りました。

鷺草園

鷺草園

「鷺草園」は奥沢城主・大平出羽守の娘・常盤姫と世田谷城主・吉良頼康の恋物語に縁があるもので、夏場には鷺草が咲くことで有名です。鷺草は世田谷区の花でもあります。

世田谷区の花「鷺草」

世田谷区の花「鷺草」

「鷺草伝説」にはいくつかのストーリーがあるようですが、奥沢城の城主・大平出羽ノ守の愛娘・常盤姫が、世田谷城の7代目城主・吉良頼康公の10人目の側室となりご寵愛を受けます。

このことに嫉妬した他の側室達の計略で無実の罪を着せられた常盤姫。死を決意し、奥沢城にいる父あてに遺書を書き、幼いころからかわいがっていた白鷺の足に結び付け、解き放ちました。

ちょうどその頃に衾村で狩りをしていた頼康公が、白鷺を射落とすと足に文が結ばれているのを発見。急ぎ城に戻るも常盤姫はすでに息絶えていたそうです。

亡くなった白鷺の血の跡からは鷺に似た白く可憐な花が咲いたとのこと。常盤姫の運命を偲び、この花を鷺草と名付けたというお話です。

こちらも知らなかったのでとても勉強になりました。

いよいよ九体の阿弥陀如来が祀られている「上品堂」「中品堂」「下品堂」へ

九体の阿弥陀如来像が安置

浄土宗の「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」とは、南無阿弥陀仏のお念仏を唱えることで救われ、極楽往生できることを説く経典。その中で解かれている「九品(くほん)」にちなみ、極楽浄土へ往生する時の9つのパターンを示しています。

浄真寺には、「上品(じょうぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「下品(げぼん)」のお堂があり、それぞれをさらに「上生(じょうしょう)」「中生(ちゅうしょう)」「下生(げしょう)」に分けることで九階位となっています。

上品堂

上品堂

9体の阿弥陀仏を安置する3棟の仏堂は、中央に上品堂・北側に中品堂、南側に下品堂があります。内部には阿弥陀如来像を3体ずつ安置する全国的にも珍しい形式です。

先日視聴したNHKの「関東会いに行きたい仏さま (5)適材適所のチームプレー」で浄真寺が取り上げられており、阿弥陀如来仏の手のポーズが違うというのを紹介していました。

阿弥陀如来が結ぶ手の形が違う

浄真寺が提供しているリーフレットの表紙にその印相の違いが描かれています。例えば「上品上生」では親指・人差し指ですが「上品中生」は中指、「上品下生」は薬指です。

これは極楽浄土に連れていくよ、というメッセージであり、念仏を唱えることにより浄化されていくという道程を示すものなのだとか。

誰でも極楽浄土に行けるが、迎えられ方が違う!?

京都・浄瑠璃寺

京都・浄瑠璃寺

2023年4月に京都・南山城にある浄瑠璃寺を訪ねました。浄瑠璃寺も九体の阿弥陀如来坐像(国宝)を安置しているお寺で、梵字の阿字をかたどったと言われる池を中心に、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園(特別名勝史跡)は極楽世界をこの世に表わしたものです。

浄瑠璃寺・本堂

浄瑠璃寺・本堂には横に長く九体の阿弥陀如来仏を安置

こちらのお寺では本堂は横に長く九体の阿弥陀如来仏を安置していました。極楽浄土へは誰もが行けるのですが、最も功徳を積んだ場合は、阿弥陀仏と観音・勢至、浄土の大衆の來迎を受けます。

音楽でいうとフルオーケストラのような華やかさ。階位が下がるごとにお迎えにくるご眷属さまが少なくなっていき、ちょっとずつ寂しくなっていくそうです。

関東では唯一の行事「来迎会(おめんかぶり)」

浄真寺では三年ごとに奉修される「来迎会(らいごうえ)」という行事が行われており、念仏行者の臨終の夕べに阿弥陀如来が二十五の菩薩を従えて西方浄土から来迎するという浄土宗の教えを行事にしたものです。

2024年5月に行われました。三仏堂から本堂へ懸橋を渡し、その上を菩薩のお面をかぶって行道します。

境内に残されている懸橋の一部

境内に残されている懸橋の一部

境内には来迎会で使われた懸橋の一部を展示していました。

浄真寺と同じように来迎会を行っているお寺といえば奈良の當麻寺。こちらも中将姫ご縁日「練供養会式」として、境内に來迎橋がかけられ、二十五菩薩が中将姫を迎えに行き、阿弥陀如来が待つ極楽へ導いていく様子を再現しています。

上の動画は2024年4月に行われた練供養の様子。金剛台に乗せられた中将姫が浄土へと導かれている様子を拝見しました。

浄真寺の来迎会は見ることが出来なくて残念でしたが、3年後にぜひ拝見したいと思います。

最後に浄真寺の開祖である珂碩上人のお墓にお参りして浄真寺を離れます。

↓「浄真寺」の場所はこちらになります。

常盤姫の「鷺草伝説」にちなんだ場所にちょっと寄り道

世田谷区立八幡中学校

浄真寺で鷺草伝説の話が出たついでに、世田谷区立八幡(やはた)中学校へちょっと寄り道。めぐろ観光まちづくり協会のベテランガイドである、井上さんが連れてきてくれました。

【目黒区】めぐろ観光ボランティアガイドの井上裕美子さんにインタビュー!街歩きとガイドの醍醐味をご紹介します

八幡中学校の体育館校舎にはモザイク壁画に常盤姫が描かれています。1983年(昭和58年)に創作されたもので、奥沢城にちなむ伝説「常盤姫物語」の中から、白鷺に遺書を託す常盤姫の姿を表わしていました。

こちらも今回の研修で初めて知ったことの一つです。

自由が丘のトモエ学園記念碑へ向かう途中でさらに寄り道「白日荘」跡へ

浄真寺の後は「自由が丘 デュアオーネ」のトモエ学園記念碑に向かうのですが、再びここで井上ガイドさんが寄り道。動物文学の祖・平岩米吉さんの私邸「白日荘」があった場所に案内してくれました。

現在、白日荘があった場所は「ザ・パークハウス 自由が丘ディアナガーデン」となっています。

平岩米吉私邸「白日荘」跡

「ザ・パークハウス 自由が丘ディアナガーデン」

平岩米吉さんは「愛犬王」と呼ばれたイヌ科動物の研究者であり、シートン動物記を日本に紹介した人物。特にイヌ科の寄生虫病であるフィラリア治療の道を開いた方でもあります。

チョウセンオオカミやシェパードなどの飼育・研修に没頭し、チョウセンオオカミを連れて銀座を歩いたこともあったそう。

平岩氏の功績をしのぶ記念碑

都会の住宅地で驚くほどの生物多様性が保持されていたことから、マンションを建築する際、周囲の公開緑地には白日荘からの在来種の低木などが移植されるなど、今も樹齢100年を超える樹木が大切に残されています。

慣れ親しんでいる地元とはいえ、あまりにも知らないことが多く、目からウロコの研修でした。後編では私がガイドするトモエ学園記念碑と自由が丘 トレインチ、最後に訪問した自由が丘熊野神社についてご紹介していきましょう。

【目黒区】ボランティアガイドステップアップ講座後半は「トモエ学園記念碑」や「トレインチ自由が丘」の模擬ガイドに挑戦

■取材協力

めぐろ観光まちづくり協会

Chikuwa

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