【目黒区】手水舎の吐水口がキツネの顔になっていることで有名な烏森稲荷神社。目黒の地名“烏森”の由来となったと伝わります
目黒区に残されている昔の面影を残す地名シリーズ。1回目は「油面(あぶらめん)」についてご紹介しました。
【目黒区】子育てや眼病に霊験あらたかと伝わる「油面高地蔵尊」。レトロと現代が混ざり合う「油面地蔵通り商店街」の中にあります
今回は「烏森」についてご紹介しましょう。烏森も油面同様、地名としては姿を消してしまいましたが、神社や小学校、幼稚園、地区の名称としていまも親しまれている名前です。
蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りする「烏森稲荷神社」
烏森稲荷神社は住宅街の中にひっそりとたたずむ神社で、最寄り駅は東急東横線・中目黒駅で徒歩約10分のところにあります。主祭神は「蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)」。
蒼稲魂命は日本神話に登場する女神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子ども(古事記では素戔嗚尊と神大市比売の子ども、宇迦之御魂神として登場)とされています。「うか」は穀物を意味し、五穀豊穣を司る神。
倉稲魂(うかのみたま)とは稲を象徴する農耕神でしたが、途中から漁業神や商業神など現世利益を成就する神とされるようになり、また、狐を稲荷神の使いとする俗信も加わるなどして現在の稲荷信仰が生まれたようです。
お稲荷さんといえば、京都市伏見区にある「伏見稲荷」が最も有名ですね。
地名の由来は神社から?上目黒3丁目にある「烏森稲荷神社」
烏森稲荷神社がある場所は旧上目黒村で、1889年(明治22年)に町村制が施行されたとき、目黒村大字上目黒の字名として誕生しました。
それまでは、上目黒・東山辺り一帯を「宿山組(上目黒にあった4つの村の区分けの一つ)」と呼んでいたそうです(参照元:目黒区ホームページ・「目黒観光大百科」(一般社団法人 めぐろ観光まちづくり協会発行)より)。
「烏森」という地名は宿山の氏神として祀られてきた烏森稲荷神社が由来といわれます。
以前は500mほど離れた寿福寺(種まき権兵衛の墓があるお寺)の境内にあったものを、下馬引沢(現在の世田谷区)の新堀新左衛門という人物が現在の場所に移したのだそうです。
新橋から狐が白い馬に乗ってついてきたという伝説が残る「烏森神社」
新橋にある烏森神社は、倉稲魂命を主祭神とする稲荷神社として有名。新橋駅烏森口から徒歩約2分のところにあります。
平安時代に藤原秀郷(俵藤太、平将門の乱を平定)が夢に現れた白狐のお告げに従い、創建した稲荷社が起源とされています。明暦の大火でも燃えずに残ったことから、さらに信仰を集めたそうです。
宿山の人々が江戸時代に人気を博した稲荷講へと新橋・烏森神社に参拝。その時、白い狐が馬に乗って後をついてきたことから、目黒に稲荷神社を祀ったという言い伝えが残されています(新橋の烏森稲荷が分かれたものという説もあり)。
武蔵の国桜田村と呼ばれていた新橋。江戸湾の砂浜に松林が広がり、烏が多く集まって巣をかけていたことから「烏の森」とも呼ばれていました(参照元:烏森神社ホームページより)。これが新橋の“烏森”という地名の由来で、明治以降昭和7年まで町名として使われていたそうです。
その後、新橋という名称になり、今ではJR新橋駅の“烏森口”としてその名をとどめているのみ。目黒の烏森という地名も、姿を消して神社や学校などに残されているのみとなってしまいました。
目黒区にある「烏森稲荷神社」の境内にある手水舎、狐の吐水口になっています
「烏森稲荷神社」社殿に上がる階段に向かって左手にある手水舎。その吐水口が狐になっていました。これはちょっと珍しいかもしれません。
2023年、めぐろ観光ボランティアガイドの勉強会で実施されたツアーに参加した時、境内にはたくさんの八重桜の木が植えられていました。春に参拝したらさぞ美しいことでしょう。
住宅街の真ん中に豊かな緑や四季折々の花々が咲くオアシスのような存在。皆さんもぜひお参りしてみてはいかがでしょうか。
↓「烏森稲荷神社」の場所はこちらになります。