【目黒区】江戸時代の庚申信仰の面影を残す庚申塔。鉄飛坂(てっぴざか)帝釈堂には有形文化財指定の庚申塔も

大岡山・鉄飛坂帝釈堂

大岡山・鉄飛坂帝釈堂

目黒は坂が多い街として知られています。JR目黒駅近くにある大圓寺の前にある行人坂や目黒通りの一部となっている権之助坂などは有名ですね。

この他にも鷹狩りの際に徳川歴代将軍が立ち寄ったとされる「爺々が茶屋」があったとされる「茶屋坂」なども。

今回は都立大学駅から徒歩約10分、大岡山駅から徒歩約14分、平町ニ丁目と大岡山一丁目の境、呑川遊歩道の中里橋から東へ上る「鉄飛坂(てっぴざか)」をご紹介します。

ちょっと変わった名前「鉄飛」の由来は諸説あるようで・・・

鉄飛坂というちょっと変わった呼び名ですが、その起源はいろいろあるようです。目黒区ホームページを拝見すると以下のように解説されていました。

名前の由来(1)

徳川幕府の初期時代、佐渡金山奉行であった大久保石見守長安が、ポルトガル人「ヒモンヤス」「テッピョウス」の2人に、鉱山採掘の方法を聴問し、佐渡金山の大改善を行おうとしたことがあった。
この2人の名が今の碑文谷・鉄飛の起源。

このことは「慶長切支丹怪秘記」という書物にでているそうですが、確説であるかどうか疑問。また、碑文谷・鉄飛という地名は、はるか以前からあるということで、当てにならないのではとのこと。

名前の由来(2)

奥州征討「後三年の役」に従軍した碑文谷の豪族、碑文谷太郎道政が捕虜「鉄の飛」を連れ帰って、この辺に住まわせた。

名前の由来(3)

鎌倉時代、武蔵国の荏原一帯を領していたのが荏原太郎義利という領主であり、その家臣に鉄飛十郎兵衛という人がいて、今の鉄飛坂の上あたりに館を構えていた名主であった。鉄飛の館があったから、里人がその名を坂名にした。

名前の由来(4)

元寇襲来のときの金沢殿着到帖に鉄飛五郎の名がみえることによるもの。

どの説が正しいのかははっきりしませんが、「全国方言辞典」によれば「テッピ」とは「山頂」「てっぺん」などの訛(なまり)であるとし、「綜合日本民俗語彙」には、比較的高所にある屋敷を「テッピ」と呼ぶ例があったと記されているそうです。

鉄飛坂上には「鉄飛坂帝釈天堂」があり、区指定有形文化財に指定されている庚申塔群がある

鉄飛帝釈堂には庚申塔群が

鉄飛坂を上り切った辺りにあるのが「鉄飛坂帝釈天堂」です。江戸時代の1680年(延宝8年)~1881年(明治14年)頃に造られたといわれる庚申塔群が堂内に納められています(非公開)。

鉄飛帝釈堂の由来

目黒区内には現在約70基の庚申塔が残されていますが、帝釈天信仰と日蓮宗信仰が結びついているのはここにあるものだけで、現在も地域の方々によりその講が続けられているのは大変貴重なことだそうです。

帝釈天信仰や庚申塔とはどんなもの?

帝釈天は仏教を代表する守護神として信仰されているもので、映画「男はつらいよ」シリーズで登場する柴又の題経寺が有名ですね。

柴又帝釈天

柴又帝釈天(題経寺)

柴又帝釈天の御本尊である板に彫られた帝釈天の像は日蓮上人が刻んだといわれ、江戸時代中期に一時行方不明に。それがお堂の梁の上から庚申の日に見つかったことから、その日をお寺の縁日にしています。

天明の飢饉で、当時のご住職が本尊を背負い、江戸の町を歩き、飢饉に苦しむ人々に拝ませたところ不思議な霊験があったことから庚申信仰が盛んになったとか。庚申日に柴又帝釈天ではこの帝釈天板本尊を開帳しています。

柴又帝釈天は彫刻でも有名

柴又帝釈天は彫刻の素晴らしさでも有名

江戸時代に大流行した庚申塔は民間信仰のこと。

旧暦で60日に1度巡ってくる庚申(かのえさる)の夜に眠ってしまうと、人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあります。

その罪状によっては寿命が縮まると言われていたため、この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしたそうです。この教えが広まっていく中で、仏教や庶民の信仰が混ざりあい、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。

柴又周辺でも縁日の前夜からなじみの料理店で、食事をしたりお酒を飲んだりして一夜を過ごす「宵庚申」が行われにぎわったそうです。「宵庚申」をした人は、翌朝一番に帝釈天にお参りするのが習わしでした(参照元:葛飾区史ホームページより)。 

この「宵庚申」を18回終えた後、供養や記念のため建立されたのが庚申塔というわけです。

庚申塔にはどのようなものが彫られている?

庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字は様々あるそうですが、病魔を払うとされる青面金剛(しょうめんこんごう)や、太陽と月、二羽の鶏、三匹の猿が彫られることが多いようです。

鉄飛帝釈天堂内に納められている庚申塔群は、板碑(いたび)型のものには帝釈天像が彫られ、柱型のものには、日蓮宗の題目が刻まれているとのこと(区指定有形文化財指定)。

鉄飛帝釈堂境内にある庚申塔

「鉄飛帝釈堂」境内にある庚申塔

また、境内には別の場所から移設されてきた庚申塔1基と道標兼庚申塔1基があります。駒型の庚申塔は青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれていました。

うっかりすると見過ごしてしまいそうな小さなお堂ですが、きれいに整備されていて地元の方から大切にされていることがわかりますね。

今後も目黒区内に残されている庚申塔、少しずつ巡りながら紹介できたらと思います。

↓庚申塔群がある「鉄飛坂帝釈堂」の場所はこちらになります。

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