【目黒区】池尻大橋「東山貝塚公園」は目黒川水系の湧き水が流れるザリガニ釣りの人気スポット
東急田園都市線・池尻大橋駅から徒歩約3分のところにある「東山貝塚公園」。すぐ近くにはラーメンの名店「八雲」があります。
2021年2月頃に訪れたときは3月下旬までの予定で斜面地保全工事を行っていました。
ここの公園は目黒区内でも有名な東山貝塚遺跡近くに作られた公園。園内には竪穴式住居が復元されています。
竪穴式住居はコンクリート造り。かやぶき屋根もていねいにコンクリートで再現されていました。
東山貝塚遺跡とは?公園は当時の面影を残す貴重な場所
目黒区のホームページ「歴史を訪ねて」を参考にすると、目黒区内には54カ所の遺跡が確認しており、その中でも東貝塚遺跡は大規模な集落だったことがわかっています。
東山貝塚遺跡(東山二丁目・三丁目一帯)は縄文後期~晩期を主体とする遺跡ですが、その後の発掘調査で縄文中期や弥生時代後期の集落跡も発見されており、長らくここが暮らしやすい場所だったということがわかっています。
★目黒の遺跡をわかりやすく展示する「めぐろ歴史資料館」★
目黒区内の遺跡後分布図を見ると、目黒川、呑川、立会川に沿って遺跡が広がっており、豊富な湧き水に恵まれた東山貝塚遺跡、油面遺跡、大橋遺跡は大規模集落がつくられた場所、ということのようでした。
縄文時代は「東山貝塚」のすぐ近くまで海が迫っていた
東山貝塚は、日本人類学の祖・坪井正五郎博士たちにより、明治の中頃発掘されたそう。貝塚からはハマグリやアサリなどの他、クロダイ、アジ、フグなどの魚の骨などもたくさん発見されました。
縄文期には東山のすぐそばまで海が入り込んでいたため、狩猟で獲られたイノシシ・鹿などの骨とともに、魚介類の骨もたくさん捨てられていたというわけです。
東京市三大貝塚といわれる「東山貝塚」
東山貝塚はその規模の大きさや貴重な遺跡が多数発見されたことから、北区の「西が原貝塚」、港区の「丸山貝塚」と並び、東京三大貝塚と呼ばれています。
大正15年に区画整理中、13軒の竪穴式住居跡、縄文土器、石器などが発見されました。鳥居龍蔵博士を中心とする考古学者の手によって発掘。
調査報告書が下村作治郎さんにより『史前学雑誌』に照会され、一躍脚光を浴びることとなります。
ここで発見された出土品は「めぐろ歴史資料館」や國學院大學考古学資料室などに保存展示。東山貝塚の近くに造成されたのが「東山貝塚公園」というわけです。
「東山貝塚公園」に再現されている竪穴式住居は縄文時代のもの
遺跡から実際に発掘された竪穴式住居跡は、直径6m、深さ30~40cmの円形状で柱の数は7~10本程度だったそうです。床の中央部分には石で囲った炉の跡もあったとか。
「東山貝塚公園」の入り口すぐ右手にある竪穴式住居は縄文時代のもので、國學院大學名誉教授・樋口清之氏の指導のもと擬制復元したと書かれています。
入り口はプラスチックの扉のようなもので塞がれているので、うまく写真が撮れませんでしたが、中は炉を囲んで夫婦と小さな子ども3人が座っています。
住居の中には石斧や土器、矢じり、鹿皮などが飾られており、当時の暮らしの様子をわかりやすく伝えていました。
「東山貝塚公園」の魅力は昔のままの湧き水が流れる小川
公園内に噴水や小川などが流れているところは数々あれど、こちらの東山貝塚公園内を流れる水は正真正銘の“湧き水”です。
公園奥にある擁壁の下から湧きだしているもので、冒頭で斜面地保全工事を行っているとかかれていたのがここのことだったのでしょうか?
擁壁の上は目黒台地と呼ばれており、そこに縄文人たちが住居を構えていたそうです。いまは現代的なマンションが立ち並び、当時の面影は一切ありません。
しかし、公園内を流れる湧き水は、何千年の時を超え、その時と変わらずこの場所をうるおしていると思うと、ちょっと感慨深いものがあります。縄文人たちの家族はここで土器で水を汲み、洗濯をし、おしゃべりに興じたのでしょうか。
「東山貝塚公園」の小川はザリガニ釣りを楽しめる
擁壁から湧き出した水は園内に作られた小川を流れていますが、ここではザリガニがたくさん生息しています。私が訪れた日は小学生らしい少年がザリガニ釣りを楽しんでいました。
緑が多く、暑い夏はこちらで一休みもいいですね。ただし、水場なので蚊に刺されないよう要注意です。
「東山貝塚公園」と道路を挟んで向かい側にも「東山児童公園」があり、こちらは昔懐かしい遊具がたくさんおいてあることで有名!
次回はこちらの公園も詳しくご紹介しますね。
↓「東山貝塚公園」の場所はこちらになります